ドリームマッチ2010徳井・後藤漫才批評

ドリームマッチ2010でお笑いの可能性、批評的価値がある作品は徳井・後藤の漫才『漫才コントをやりたい』である。同作品は一言でいえば、『チリンチリン』+『ブラマヨ的口論』+『喩え話を多用した議論』的な作品だ。


徳井が漫才コントに関しては初体験、処女だと言い出し、漫才の中でコントをやることは、学校でセックスするみたいに興奮する、と語りだす。同作品の技巧の中で特筆すべきは、後藤の対応力であろう。徳井の「ボケに対してボケろ、と説教するのは、漁師に対してちゃんと魚を釣れ、というぐらい失礼」という漁師メタファーに対し、無能なツッコミなら、
「変な喩えをするな!」
とすぐ拒絶してしまうことだろう。しかし、後藤は徳井の漁師のメタファを受け継ぎ、その中で議論し、漁師メタファでできあがったパラレルワールドを詳細に描写し、さらに広げ、その中で巧みに泳いだ。三島由紀夫金閣寺』の溝口・柏木の喩え話を多用した哲学的議論を思わせる知的な徳井と後藤の議論の世界に、われわれは次第に潜り込んでいくことになるだろう。後藤のどんな球が来ても柔軟に対応するイチローのような対応力が、青魚のように光る。井山弘幸は『笑いの方程式』でメタファ・言葉遊びによって生まれたパラレルワールドをすぐ壊すのではなく、本作品の後藤のように、そのパラレルワールドの中で泳ぐ、という対応を高く評価していた。筆者も、メタファーによって生まれたパラレルワールドをすぐ拒絶する対応よりも、今回の後藤のような、メタファーの世界(漁師の世界)をさらに広げるような対応を高く評価したい。


お人好しの福田相手では徳井は、一人でメタファーで生まれたパラレルワールドを作り上げていたが、相方が後藤だと、ブラックマヨネーズの漫才的な白熱した口論をしながら、二人でメタファーによって生まれたパラレルワールドを詳細に構築することができる。徳井・後藤は今回の漫才で漫才の新たな可能性を切り開いた。徳井の漫才は、相方が福田だと徳井のソロで福田が観客、相方が後藤だと二人の二重奏、ラルクのkenのギター、tetsuyaのベースのように主張しあう二重奏になる。


ドリームマッチ2010の徳井・後藤の漫才『漫才コントをやりたい』は『チリンチリン』にブラマヨ的な口論の要素を取り入れた、現代の漫才の一つの到達点として筆者は高く評価している。機会があれば、同作品に対して詳細な論文を書き下ろすことになるだろう。ここでは、簡単な骨格を示すだけに止める。『チリンチリン』は自転車のベルを大切な女性に喩えたが、『漫才コントをやりたい』は、初めて漫才コントをやるという出来事を、初体験に喩える。そのメタファーによって生まれた世界に、三島由紀夫金閣寺』の主人公が金閣寺に没頭するように、われわれは没頭することになるだろう。

■参考文献・参考動画
ゼロ年代の笑いの構造』村上哲也(『新文学02』、2009年)
『笑いの方程式』井山弘幸(化学同人、2007年)
村上哲也の講演の代表作『生態系論』(2009年)