松本人志『Zassaザッサー』批評2009年5月

松本人志が2006年にネットで有料で発表したお笑い作品『Zassaザッサー』をようやく動画サイトでみた(いつかDVD化・ブルーレイ化してもらいたいものだ)。松本も言っているように悲劇と喜劇は紙一重である、ということを改めて思い知らされる作品。


登場人物は主に飛行機の操縦士・オカバヤシ機長(松本)と、コナガイ副操縦士(板尾)、サポート役のヒグチ(宮川大輔)。飛行機が何度も墜落してその度に機長だけが外に「ザッサー」と滑るように飛び出す話。基本的には「反復」という笑いの手法と、非現実的なことをリアルに描いている「非現実の現実化(シュール)」と呼ばれる笑いの手法が中心になっている。『大日本人』(2007年)も基本的に「反復」と「非現実の現実化・シュール」だし、『巨人殺人』(VISUALBUM、2003年)も基本は「反復」と「非現実の現実化・シュール」だから、松本人志の笑いの根本的な作品だろう。また悲劇的な体験を描くことにより、自分も似た経験がある、という共感が生まれる「あるあるネタ」も使われている。


機長だけが外にザッサーと飛び出し何度も怪我をし、体がボロボロになり、その上、墜落先で拾った小動物に指をかまれ、毒が体に廻るという悲劇を徹底してリアルな演技で描いている。私もこないだ街を歩いていると、自分だけに大量の鳥の糞が落ちてきたり、自分だけティッシュを配られなかったり、自分だけ威圧的な警察から職務質問を受け鞄を調べられたり、自分だけ不運なことが重なったことがあり、『Zassaザッサー』の機長のような悲劇的な体験をしているので、共感できる。


また『Zassaザッサー』の機長は自分より年下の副操縦士に少し舐められたり、嫌われている。私も中学生の頃、部活の後輩に少し舐められた経験があるので、機長を他人事とは思えない。


また機長は怪我をして痛がっているのに、後輩の二人は機長の怪我よりも、墜落先で見つけた小動物探しに夢中である。私も花火で火傷をしているのに、他の人は花火に夢中で火傷を治療するための水道の場所を教えてくれず、悲しい思いをした経験がある。機長が怪我をしても誰からも心配されなかったように、私の花火の火傷も誰からも心配されなかった。機長と後輩二人の人間関係はこのように誰にでも経験あるようなリアリティを有している。


あまり好かれていない機長と副操縦士の会話・演技があまりにもリアルなので、自分も似た経験がある、という似た経験の発見をするとより楽しめる作品だろう(松本人志作品全般に言える特徴だが)。


機長の悲劇はなぜ笑えるのだろうか?私が現実で鳩の糞が落ちてきたりして悲劇が重なった時は鬱になったものだが、松本人志作品は悲劇を描いているのに笑える。悲劇と喜劇の差異はいったいなんなのだろうか?『ゲッタマン』(VISUALBUM、2003年)も徹底的に理不尽に上司から殴られたり、怒られたりする若手俳優を描いた悲劇だが、笑える。


松本人志作品の悲劇がなぜ笑えるのか、の解明は、評論家として私の今後の課題である。


■参考作品
松本人志Zassaザッサー』(2006年)
松本人志大日本人』(2007年)
松本人志『巨人殺人』(VISUALBUM、2003年)
松本人志『ゲッタマン』(VISUALBUM、2003年)


■村上哲也が今の気分で選ぶ松本人志作品5選

1位『ゲッタマン』(VISUALBUM、2003年)
2位『大日本人』(2007年)
3位『Zassaザッサー』(2006年)
4位『巨人殺人』(VISUALBUM、2003年)
5位『システムキッチン』(VISUALBUM、2003年)
村上哲也の講演の代表作『生態系論』